ごあいさつ

代表取締役社長 九鬼十三男:近影

21世紀。人類は、新興国の経済発展、人口の爆発的増大(2050年には90億人を超す見込み)、ひいては、世界的なエネルギー資源の需要増大、世界的な食糧危機(2009年で10億人の人類が栄養不足)、地球温暖化といった人類存亡の危機に直面しています。そんな危機を克服するためにも、人類は、今、地球との共生という最も大切で根源的なテーマにしっかり向き合わなければなりません。 人間社会の持続的な成長を維持する為に、省エネルギー型の新しいライフスタイル“スローライフ”を目指す時代を迎えています。その“スローライフ”のベースになるのが農業です。人間にとって、自然の中で自然を相手に太陽の恵みに感謝して、土地を耕し収穫を得て生活をする根源的な産業です。

21世紀、農業は世界を救う。食料なくして人間は生きていけません。農業なくして食料は得られません。まさに農業とは、食料生産を支える産業なのです。特に、自給率の低い日本では、農業再生による食料生産の確保は、食料安全保障の上からも、国家的命題といえます。そして、その人間の食料生産に必要不可欠な農業を支える基礎的資材が肥料です。肥料無くして21世紀の人類の未来は開けないということです。

『修身斉家治国平天下』すべては自分から始まる。世界を語り、国を語り、社会を家庭を語る前に、まずは自分を見つめ直す。『自己実現』という言葉がありますが、すべてはそこから始まり、すべてはそこを目指して人間は生きています。会社も同じです。我が社の使命、存在価値、アイデンティティーをしっかりと全員が理解し、自覚して前進しなければなりません。

最後になりましたが、肥料を生産し、販売する肥料会社の使命感、果たすべき役割の大きさをしっかりと心に刻み、農業のニーズに的確に対応すべく、万全を期するのが我が社の永遠のテーマです。どうか、末永いご指導・ご支援・ご愛顧を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

代表取締役社長 九鬼十三男

歴史がある、未来が広がる―

港が九鬼の礎を築いた。

古くより、海上交通の拠点として栄えてきた天然の良港四日市港。九鬼の歴史もここから始まります。塩問屋を業として塩紋と称し、その後、肥料を扱うようになった九鬼は、明治末期頃になると、北海道・樺太・北陸及び朝鮮産魚肥類を。植物性肥料としては、現在の中国東北省の大豆粕、また、“伊勢水”として親しまれてきた菜種油の油粕を近県に販売。そのころには、肥料運送の便を計るため、3,000トン級の貨物船2隻を擁し、手広く事業を展開していました。伊勢湾を望む地の利に助けられ、九鬼の今日が築かれたのです。

肥料を通じ、暮らしに貢献

大きな転換期を迎えようとしているわが国の農業情勢の中にあっても、人間が食物を食べ続ける限り、作物を育てる肥料の必要性は不変です。同時に、肥料は土地を肥やし、緑を作ります。地球環境の危機が声高に叫ばれる現在、大切な緑の栄養素として、肥料の果たす役割は、今後、科学万能の時代とはいえ、益々大きなものとなるでしょう。こうした肥料を製造・販売すること。それはまた、豊かな地球、豊かな人の暮らしづくりに貢献することです。

肥料の新用途を広げる

肥料はこれまで、農業のみを対象とした“生産資材”でした。しかし、政治・経済・文化、あらゆる面での価値観の多様化が進行している現在、肥料の使用用途も拡大の一途をたどっています。例えば、林業・ゴルフ場・都市緑化事業、そして、一般家庭を対象とした園芸用肥料などです。“生産資材”から“商品”へと、新たな需要の創造・拡大こそが、輝かしい未来への飛躍の鍵を握るものです。長年の信頼と実績を基盤に、九鬼肥料工業は、より付加価値の高い肥料の研究開発に励んでいます。

きめ細やかな全国展開で、地域それぞれの実情に適した肥料を

より効果のある肥料を製造するためには、各地域の作物や気候、土壌の性質によって、成分配合を調整しなければなりません。そのため九鬼肥料工業では、本社を四日市、支店を札幌、工場を四日市と釧路に配置するとともに、他の肥料メーカーとのOEM提携での対応によって、各地域のお客様の生の声を反映しながら、地域それぞれの実情に応じた製品作りを進めています。またきめ細やかな全国展開は、輸送面においても的確に反映され、必要なときに必要な量を迅速に提供する体制を整えています。